木下史青さんに会いに行く。


木下史青(きのした しせい)

1965年、東京都生まれ。展示・照明・環境デザイナー。東京国立博物館学芸企画部企画課 デザイン室長。98年より博物館専属の展示デザイナーとして、東京国立博物館 [1]に勤務。照明、配置、保存等、展示に関するプロデュースを行い、「国宝 平等院展」「国宝 阿修羅展」などの特別展・総合文化展の展示デザインを手がける。2004年、「東京国立博物館 本館リニューアル」において、平常展示のリニューアルデザインを担当し、平成18年度日本デザイン学会年間作品賞を受賞。著書に『博物館へ行こう』(岩波書店)、共著書に『昭和初期の博物館建築』(東海大学出版会)がある。

 

光の差し出し方

 

 BACHで本棚を作るとき、どんなタイトルを選ぶのかも大切なのですが、その本の“差し出し方”がすごく重要になってきていると感じています。同じ本でも、差し出し方によって相手への届き方が違ってくる気がしていて。もちろんそれは時と場合によって、やるべき方法も違うから、「こうすればいい」という正解はない。だからこそ、いろいろな伝え手が考えをめぐらせて、より届く可能性が高まる方法を必死で探っているのだと思うのです。例えば、お客さんの歩き方や速度、滞留の仕方、息づかいなどなど、いろんなことを慮りながら。

 そういった“差し出し、伝える”現場で、足掻きながらも独自の方法論を発見した人にお会いしたいと思って、今日は東京国立博物館の展示デザイナーをしている木下史青さんのところに伺いました。

木下 よろしくお願いします。

 お忙しい中、ありがとうございます。木下さんの仕事で、僕が感銘を受けたのは、何といっても「阿修羅展」(正式名称:興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展) [2]における阿修羅像(正式名称:国宝 八部衆のうち阿修羅立像) [3]の差し出し方でした。360度、様々な方向から像と対話が可能になり、また絶妙な照明計画により、今までの自分が知った気でいた阿修羅像と、まったく違った阿修羅に出会えた気持ちになったのです。
 その既視感を未知のわくわく感に変貌させた方法に触れたいなと思いやってきたのですが、そもそも博物館で何かを展示するということがどんなことなのか? という点から聞いていきたいと思います。

 ご存知の通り、今の検索型社会では、インターネットを介してどんなものでも視覚情報としては入ってきます。本で例えるならば、現代は読んだ気になるのも、読んだふりをするのも、すごく楽な世の中なんですよね。スマートフォンでちょいと検索すれば、カバー画像が見られて、誰かのレビューも読めて、書誌データもあって、あらすじや骨子まで書いてある親切なサイトだってある。テキストそのものや、紙束に触れていなくても、これってだいたいこういうことが書いてあるよね、って読んだ気になれる。

 けれど、実のところ読書というのは書き手と読み手が一対一で向き合いながら行う精神の受け渡しみたいなものだと思っている僕にとっては、ネット上でヒットした情報を3分間眺めるのと、実際に本のページを3分間パラパラめくるのとではまったく違う経験が自分のなかに入ってくるものだと思っています。
 木下さんも著書のなかで書いていましたけれど、画像検索すれば仏像だろうが、器だろうが、何でも見られる世の中で、わざわざ実物を博物館に置いて、それを人に見せることの意味や意義を、どう思われていますか?

木下 わかりやすい話でいえば、図禄に負けないような展示空間を作るのが僕の仕事です。

 なるほど。

木下 僕の経験上、博物館で見る仏像は、お寺のお堂で見る仏像と比べて、だいたいよく見えなかったんです。当時、奈良に行っても興福寺 [4]の国宝館 [5]にある阿修羅像は本などで見ていたイメージよりも全然おもしろくなかった。だから本当は自然のまま、お堂のなかにある方がいいと思うんです。

 それはなぜかというと、博物館にある仏像は信仰の対象ではなくて、あくまで彫刻だから。宗教体験とはまったく切り離された場所で展示されている仏像は、一つの彫刻としての研究対象です。だから図録には客観性を求めた写真が掲載されます。

 ミシュランガイドの料理写真にしずる感がないのと一緒ですね(笑)。美味しい食の紹介ではなく、格付けがあの本のプライオリティだから。

木下 はい(笑)。だけど、仏像を作った人は、研究対象としてその仏像を彫っているわけではない。『国宝 阿修羅展』(2009年)での阿修羅像であれば、作った人がこう見せたいとか、こうあるべき、としたその像がさらなる信仰につながっているわけです。

 僕は照明が専門ですから、最後は一対一で阿修羅と向き合う。学生の前でもよく言うんです。これは「阿修羅展」のチーフ・キュレーターから教えていただいた、展示コンセプトを考える上でのキーワードだったのですが、実存主義 [6]の照明をしなさいって。
 僕はお堂のなかで見るよりいいんじゃないかと思って、阿修羅が光で動くシーンをいくつも作ってみたんですけど、やっぱり見せ物になっちゃうんです。そこに本物が立っているのに、どうも作り物の阿修羅に見えてしまって、それは照明でやってはいけないなと思いました。ゆるぎない光で、仏像だけの空間に静けさや品格を表現する。その一方で、光の移り変わりによって、変容を演出することが適切な展示作品ももちろんあります。

 確かに博物館や美術館といった公の場所で展示する場合には、元々それがあった場所性からは引き剥がされてしまいますよね。そういった場合、オリジナルがあった環境とは違うニュアンスを意図的に帯びさせる必要があるんでしょうか? もっというなら、それは どのあたりまでコントロールできるのか? 例えば、 阿修羅でも何でも、ショーアップしてヒーローみたいに見せようと思えば見せられるわけですよね。

木下 できますね。それは、要するに僕の表現として、僕のエゴが出ちゃいけないっていうギリギリのところを問われます。そこの踏みとどまり方が大切。僕が「博物館の」照明デザイナーでなかったなら、自らの表現として舞台照明みたいにすることも可能です。
 だけど極端な話、「建築家がいるのに、照明デザイナーなんて必要なの?」って言われることもありますが(笑)、あくまでも建築や展示が主体で、その夜の姿、昼の姿を浮かび上がらせたり、そこで居る人にとって最も快適な空間を作ったりすることが僕の仕事なわけです。

東京国立博物館本館(撮影:木下史青)
東京国立博物館本館(撮影:木下史青)

 あくまでも媒介。そのスタンスは僕も同じです。本は他人様が書いたもので、その著者に対する尊敬みたいなものが根底にはあります。その本を使って、書き手と読み手をつなぐ結節点をつくるのが、自分の仕事です。
 確かに自分がおもしろいと思ったものを他の人にも知ってもらうのは、とかく承認不足のこのご時世においては嬉しいことです。だから、どうしてもわかりやすく親切に伝える方法や術を模索しがちなんですけど、実はそうすることで、その書籍が本来もっていた本質的な部分をぼんやりさせてしまったり、損なわせてしまってもいけないと思っています。そのどこに僕は線をひくべきなのか、難しさをいつも感じていますね。

木下 僕もこの10年、失敗ばかりです(笑)。とは言え、80点レベルでのプロのクオリティは保っているつもりだけど、だけどあるとき、「木下さんもうちょっと自分のやりたい照明やっていいんじゃないですか?」なんて言う人も現れたり、そうすると、もうちょっとやっちゃおうかな、なんて思ったり(笑)、逡巡していますね。

 だけど、どうやってもね、たぶん僕は照明を扱うだけの“照明デザイナー”にはなれないって、もう自分でわかってしまった。ただしそのための段取りというか、準備までのことはできるようになってきました。

 なるほど。照明だけじゃなくて、仏像を入れるガラスケースも、床の素材も含めて、もっと空間に対して多角的に、ということでしょうか? 実際、そういうもののすべてが作品を見る目に関わってくるわけですよね。

木下 それは確かにそうですね。展覧会を一緒に作っていく人たちとのチームをどう作れるかっていうことの意味が最近ようやくわかってきました。
 それまでは、僕はやっぱり「照明だけ」って思っていましたけど、だけどケース屋さんはケースのことしか考えないとか、ディスプレイ屋さんはディスプレイのことしか考えないっていうことではなくて、それを束ねていく存在が必要ですよね。

 分業になればなるほど、それぞれの思惑を主張するようになって、照明のための照明になったり、什器のための什器になったり、建築のための建築になったり。そういうことって実は本の現場でも多いんです。

 例えば、図書館ではアーカイブ [7]することと、その所蔵物を利用者に積極的に読んでもらうよう促すことの二律背反が、最近はよく語られています。もちろん、その両輪をバランスよく走らせなくてはならないと思うのですが、元来公共の図書館は、アーカイブ――保存・所蔵に重きを置きがちなんです。つまり、図書館が本を隠す場所になってしまっているんじゃないかという危惧ですね。

 その本の存在をわかっている人にとっては、もちろんデータベースを検索すれば出てくるし、その人のために5年後だろうが、30年後だろうが、必要になったときに滞りなく本が差し出せることは大切なこと。けれど、こちらから投げかければ興味をもってくれる可能性のある人が、目の前を通り過ぎているかもしれないのに、そちらに対するアプローチは全くできていない。アーカイブが読んでもらうための方策ではなく、目的になって閉じてしまっているということです。その2つをユーザー目線で束ねる存在も、なかなか出てきませんね。

木下 本のデジタルアーカイブっていうことで言うと、今まさに推進されているジャンルですから、今後はさらに本の手触り感ってなくなっていきますよね。それはもう良い悪いの話ではなくて、時代がそうなっちゃう。本を情報として捉えてしまうと、もうデジタルアーカイブでいいやっていう話になりますよね。

 そうですね。でもやっぱり、本を平台に置くときに、「届いて!」みたいな念を込めると、何かが入る気はするんです、そういった気持ちを託せる器というか。僕は紙の本と電子書籍のリーダーと、両方使っているのですが、電子本でおもしろかったら結局また紙の本で買い直しちゃっていますね。

木下さん、職場の本棚
木下さん、職場の本棚

木下 わかります。

 買い直して事務所の本棚に入れておくと、じつは平気で忘れられるんです。忘れているのですが、自分が両手をのばした日常のなかにそれがあると、背表紙を見ただけでも、「あぁ」って何かを思い出す。それで、手にとってパラパラみたら、「そういえば…」と気づく。体に近いものには再生するための「よすが」が沢山ある気がします。

 デジカメで撮った写真も、きれいにフォルダ分けしてパソコンに保存しておいても、再生して改めて眺めることって、そんなにはないですよね。結局出力してその辺に置いてある1枚しか見ない。
 だからやっぱり、ものの実存感というか、紙の本がただそこにあることの強さは何にも代え難いものだと思います。僕らが、この腰痛持ちの思うようにならない体を引きずって生きていく以上、身体との親和性が高い紙の実存感は強いと思うんです。自分の一部、分身みたいなものとして本をそこに置いておけるのではないでしょうか。

 

状況との出会い方

 本の場合、たくさん読んでいる人が偉いとか、読みかけた本を途中でやめることは敗北だ、みたいな感覚が蔓延しています。本の読み方の自由がどんどんなくなって、本はこう読まなくてはいけない、みたいな暗黙のルールに縛られている気がするんです。でも、僕は食事を選ぶみたいに、気軽に本を手に取ってもらいたい。肉を食べたい日もあれば、野菜を食べたい日もあって、今日は冷や奴で結構です、みたいな日も当然ある。気分に合わせて読みたい本を選んで、自分のなかで血肉化させていく情報こそが重要だと考えていて。

 そういうふうに本の読み方自体が少しずつ変わるといいなと僕は思っているんですけど、博物館の展示物について、本当はもっとこういうふうに見て欲しいと思ったことってありますか?

木下 僕は見せ方のプロたらなくちゃいけない。だけどお客さんに対しては、自由に見てね、っていう感じですね。
 仏像がそこにあるべき姿、茶碗がそこにあるべき姿、それぞれの展示品が博物館にあるべき姿を僕が設計してるわけなんですけど、仏像なんてもともと博物館と関係ないし、茶碗だって、茶碗だけを取り出して博物館にある意味ってあんまりない。

 そうですね。茶碗の本来の機能は、“お茶を飲む器”ですもんね。

木下 博物館の展示物は、どうしてもその物がもともと持っている機能から切り離されてしまうんです。それに、博物館には見方がわからないものもたくさんあります。たとえば、銅鐸 [8]の用途が何だったのか、学者に聞いてもわからないんです。だから、銅鐸の見方ってわからない。そういうものが考古展示室にいっぱいあります。
 だから学問としての見方、読み方がわからない。それでも美術館は、自由に見てねって言えちゃうんだけど、博物館は解説をつけなくちゃいけない。だけど僕は、博物館でも、まず自由に見てね、と考えています。

東京国立博物館 東洋館の展示(撮影:木下史青)
東京国立博物館 東洋館の展示(撮影:木下史青)

 現代美術館の展示デザイナーたちは、アーティストとやりとりできるので、アーティスト自身が作品をどう見せたいか、どう作りたいかを聞くことができる。僕の場合は、生きてる作家とのやりとりって全くないので、ある意味勝手な解釈もできちゃうんですよね。阿修羅像を作った人なんて、もちろん死んじゃってる。

 そうですね。

木下 だから、アーティストとインスタレーション [9]を作っていける展示デザイナーはうらやましいなと思う場合があります。

 ともすると答えが出てくる可能性があるからですよね。

木下 そうです。僕は学芸員 [10]とキャッチボールしながら空間を作っていきますけど、現代アートの場合はアーティストとキャッチボールしながら空間を設計して、アーティストの可能性までをも引き出す。最近では、アーキテクト [11]とペアじゃないと、作品として成り立たないものもある。そうやって、美術館のあり方まで変えていくわけですからね。
 だけど、僕の望みとしてはやっぱり、ぼーっとしにきて欲しいんです。本屋でもぼーっと見るじゃないですか?

 そうですね。ぼーっと。
 でも実は、ぼーっと向き合った方が、見えてくるものってありますよね。銅鐸が何に使われていたかわからないし、今後もわかりえないんでしょうけど、長い時間をかけてゆっくりリラックスしながらそのものと対峙することで、感じることができる地平というか…。自分と銅鐸の対話がちゃんとなされていれば、いつか、分からないなりの自分への蓄積があると思う。本は本で、答えが書いてあるものではないので、本と自分が向き合って、対話して、自分なりにかみ砕いていくしかないんだろうと。

木下 ジェームズ・タレル [12]の作品だって、本当の意味でわかろうとするのは難しい。だけど本人に会って、コミュニケーションをとると、タレルがなんとなくわかるようになるというか。

 完全にわからないのならば、勝手にわかるしかない。わかろうと願うしかない。そこが本屋であれ、博物館であれ、良い意味での勝手さと自由さをもって、その人が対象と向き合えるような環境を作ることにつきるのかな、って思います。

 

容赦のない場所

 いま、佐賀県の認知症 [13]クリニックで本棚を作る仕事をお引き受けしているんですね。いつも本棚を作るときは、ただ僕が好きな本を持って行くだけではおせっかいにしかならないので、毎度その本棚を使う人たちにインタビューするんです。
 「どんな本を入れて欲しいですか?」って聞くのではなくて、「こういう本があるんだけど、どうですか?」って、スーツケースに40冊ぐらい本をつめて行って、見てもらいます。文字の量はこれぐらいでどうだろう? 厚さはどうだろう? こんな重い本、持てるのかな? とか、あとは、ヴィジュアル本の方がいいのか、テキストの方がいいのか、シリーズものは受けるのか? それとも、どこからでも読み始められて、どこでも読み終われるイメージブックみたいなものの方がいいのか、とか。

 認知症の方は、実はほとんど本なんて読みません、というか読めません。かなり記憶も混濁しているそうです。インタビューのときに同席してもらったドクターによると。けれど、短期的な記憶 [14]は抜けていても、長期記憶 [15]は残っている方がすごく多いのだそうです。朝、何を食べたかは覚えていなくても、5歳のときに歌った童歌のことは覚えている。例えば、かこさとし [16]さんの童歌の本をインタビューでは持っていったのですが、「この歌、覚えていますか?」って聞くと、「覚えてる、覚えてる」って。

木下 それは大事ですね。

 ほかにも、『木村伊兵衛のパリ』 [17]という名写真家の写真集も持って行ったのですけど、誰一人として、木村伊兵衛 [18]の「き」の字も知らない(笑)。だけど、家族の方がページをめくって認知症のおばあちゃんに見せると、「あぁ、パリええねぇ」とか言いながら、「もういっぺん旅行いきたいねぇ」とか話してくれて。
 僕は、木村伊兵衛を知っている、知らないということよりも、写真集そのものがその人にとって、日常の側面を1mmでも押し上げるツールであることが重要だと思っているんです。

木下 無意識のどこかにひっかかるような、“仕掛け”と言ってしまってはいけないんですが、阿修羅展のときにも、平成館 [19]に入った途端に阿修羅の情報は全部消えるようにしたんです。

 なるほど。意図的に。

木下 裏阿修羅展みたいなところにものすごい時間を費やしました。ディスプレイ業者さんといろいろ工夫して。それで、阿修羅が見える瞬間を最高に盛り上げようと。
 普通は立ち止まらないようなところに立ち止まるようにして、阿修羅が最初に見えた瞬間に「ゾクっ」とするような仕掛け、わかりやすく言うと阿修羅との遭遇ストーリーを作りました。

阿修羅展(撮影:木下史青)
阿修羅展(撮影:木下史青)

 なるほど。少しずつ、少しずつ。

木下 書店でも探しているつもりのない本なのに、理由もわからないままに、ぱっとひっかかる瞬間ってあるじゃないですか?

 ありますね。著者もタイトルも知らないんだけど、何か呼ばれているような気がするとき。

木下 それはアマゾンの“お勧め本”とは全然違う、自分でも意識していないような遠い記憶と目の前の本が、身体的な感覚で結びついているからなのでしょうね。
 博物館でも、名前も知らない仏像にぱっと目がとまって、写真を撮るとか。その瞬間が大事ですね。そういう空間を目指したいなとは思っていますけどね。なかなか難しい。

 じゃあ、仏像の頭を一つ見せるにしても、考えて考えてパース [20]を作っても、置いてみると意外に…っていうことはあるんですか?

木下 ありますね。実際に展示スペースに置いてみたら、予想もしていなかった影が生まれて想定外の演出効果があるとか。

 木下さんが手掛けられた空間なり、展覧会での照明なり、今回のこれは伝わるんじゃないかな、とかそういう手応えみたいなものってあるものなんですか?

木下 あります。
 それは全体のバランスですね。これは僕の光じゃないっていうのがようやく最近わかってきた。このバランスは僕だったら絶対やらない、とか。怖いのが、うちの母親がそれがわかるんですよね。「今度のは史青じゃないわね」とか(笑)。

 そういうお仕事をやっていたわけでもなくて?

木下 まったく。東博(東京国立博物館)で見たあの作品の照明は良いとか良くないとか、っていうのがわかってる。

 直感がするどいというか、獣的な感覚を持ち続けているというか。

木下 そういう意味での信頼感は母親には置いてるんです。

 うちも母親を連れていって、「なんかおもしろいわね」とか言うと、流行るんです。「ちょっと難しいわね」とか言われると、ダメなんです(笑)。だから、僕のスタンスとしては、僕よりはうちの母親がおもしろがるぐらいのレベルじゃないとダメだと思っていて。

木下 わかります。

 対象を詳しく知っている人が、その文脈を作り手と共有したうえで、「いいね」「いいね」って言っているだけじゃなくて、暗黙のルールも何もかも通じない、容赦のない相手でさえ「なんか、いいかもしれない…」って立ち止まるぐらいのやわらかさがないと、伝わらないんじゃないかなって最近は思います。
 特に本は、もともと好きな人は放っておいても読んでくれますからね。逆に僕は、「もうしばらく本は開いていません」という人が、一冊の本を手にとって、ページをめくる瞬間をどうやったら作っていけるのか、という方にやりがいを感じています。

木下 それは非常に大事な感覚だと思いますね。

 

-次回はライゾマティクスの齋藤精一さんに会いに行きます。-

 

  1. 東京国立博物館:日本と東洋の美術品、考古遺物など11万件以上を収蔵する国内最古の博物館。1872(明治5)年創設。本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館、黒田記念館の6つの展示館と資料館その他の施設からなる。 []
  2. 国宝 阿修羅展:興福寺創建1300年を記念し、2009年、中金堂再建事業の一環として東京国立博物館にて開催された特別展。 []
  3. 阿修羅像:奈良時代に制作されたとされる三面六臂(3つの顔に6つの腕)の仏像。国宝。脱活乾漆造 彩色 奈良時代 734 (天平6)年 奈良 興福寺蔵。 []
  4. 興福寺:法相宗大本山の寺院。古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録されている。2010年、創建1300年を迎えた。 []
  5. 国宝館:興福寺の宝物収蔵庫。千手観音菩薩像をはじめ、興福寺の歴史を伝える絵画、仏像、工芸品が収蔵されている。阿修羅像などの乾漆八部衆像や木造阿弥陀如来像も国宝館にて拝観できる。 []
  6. 実存主義:産業革命以降、科学技術の発展や合理化によって人間が自己喪失をしたうえ、社会の歯車と化したことを批判し、その主体的な実存こそに本来的なあり方を求める思想。キルケゴール、ニーチェ、サルトル、ハイデッガー等の主張に代表される。 []
  7. アーカイブ:重要記録や資料を保存・活用し、次の世代に伝えること。 []
  8. 銅鐸:弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器。近畿地方を中心に四国・中国・中部地方の各県で出土している。豊穣を祝う祭に使用したと推定されるが、詳細は判明していない。 []
  9. インスタレーション:1970年代以降主に欧米で誕生した、現代美術における表現手法の一つ。様々な素材を組み合わせ、展示する環境と有機的に関連づけたうえで、その空間全体を作品として提示する。 []
  10. 学芸員:キュレーター。博物館・美術館などで作品や資料の収集・保管・研究、展覧会の企画を行う。 []
  11. アーキテクト:建築・設計。 []
  12. ジェームズ・タレル(1943~):現代美術家。知覚心理学をはじめとした自然科学の諸分野と美術史を学ぶ。普段は意識していない光の存在を改めて認識させようとする空間を多数制作。 []
  13. 認知症:後天的な脳の障害により、一度発達した知能が低下し、記憶力・判断力等が正常に機能せず、日常生活がうまくおくれなくなる病的状態。 []
  14. 短期記憶:人間の記憶のうち短時間保持される記憶。その期間は数十秒から数十分という短時間で、一般に7個程度の数や文字を記憶できるとされている。 []
  15. 長期記憶:ほぼ恒久的に保持される記憶。短期記憶が海馬を通じ、言語・イメージ・シンボルなどの情報に変換され、記憶のネットワークに組み込まれたもの。容量は無限。 []
  16. かこさとし(1926~):絵本作家、児童文学者。工学博士、技術士(科学)の肩書きも持つ。技術者という経歴を活かした「かこさとし・かがくの本」の他、『だるまちゃん』(福音館書店)『からすのパンやさん』(偕成社)等、作品数は500点以上に及ぶ。
    []
  17. 『木村伊兵衛のパリ』(朝日新聞社):写真家 木村伊兵衛が50年前のパリで撮影した市井の人びと。カラー170点を集大成。2006年発行。 []
  18. 木村伊兵衛(1901~1974):写真家。報道写真やストリートスナップ、ポートレート等、多くの傑作を残す。日本写真家協会の初代会長。土門拳とともにリアリズム写真運動の推進にも携わる。 []
  19. 平成館 考古展示室:東京国立博物館の展示室の一つ。考古遺物で旧石器時代から近世までの日本の歴史をたどることができる。 []
  20. パース:完成予想図。 []